【 おかしければ直せばいい。なければ創ればいい。】

エッ、S助一派と仲良しのH下さんが当選したんだ!

もう、ここからでも見えるほどに工事が進みましたね。
  
 ここから見ると、15,6階だから32階建てなので、ちょうど半分ですね(ここまで進むと、中断することはありませんね、よし
 “えー”と本日のニュースは…、ここで新聞が読みやすいなと感じていたことが、やっと分かった! それも、さっき「この新聞は読みにくくありませんか?」と聞かれて初めて、他の新聞とは違って「横書き」だったとね(今まで気付かなかった!アハハ、だから私にとって読み易いのだ)
   やっと、裁判所から未払い残業代など約755万円の支払いを命じた判決がでたようだ(よかった、この件はS判所をほめてあげたい)。管理者との名のもとに店員と同様な実務をさせておいて、「法律で支払わないでよい」となっているとして、こき使っていたんだよね。他業種でも「実態に差 年収、店員以下も」… Mナルドのイメージも壊れたよ(これを転機に良い意味で格差がなくなる方向へ進め)。この方は立派と言うか、これまでが大変だった思うよ(ほんと、S助一派に爪の垢でも煎じて飲ませたいよ)。しかし、いざ会社と争うとなった時には、同僚からは表向いては応援してもらえなかったと思うよ(まだ、もうひと山はあると思うが、頑張りましょう)
 “おいおい”、大丈夫か!? S助一派と仲良しでしょう。

 エッ、S助一派と仲良しのH下さんが、『年収3億円ともいわれる生活を捨て、覚悟で臨んだ「大阪の顔」』だったんだ(すごいな!)。初当選したとあるぞ。
 今度は、「手に負えないと分かっても簡単に辞めるな」と思ったが、なぜ!?
 「初当選、初めて…」だっけ、なにか、すぐにシッポを巻いて逃げて行ったと記憶にあるぞ。太田府知事は2期(8年)だから私の記憶違い(勘違い)かな。あ、あっ、知事選ではなく市長選だったね(いや〜、私の勘違だね、そう願うよ)
 まぁ、建設的に考えることして、「御手並み拝見」ですね(早く府民、いや、国民に格差なく“まっとう”な生活ができるようにお願いしますよ)。でも、これから露呈するS助一派の事柄が悪影響しないことを願っています。
 ミス日本「夢のようです」…

 ミスコンがあったんだ!
 「水泳、マラソンで鍛えた165センチ、B82W58H84の健康ボディーの持ち主」ですね。東京都出身で二十歳の鈴木恵理さん(ゴックン)。でも、ちょっとタイプが違いますね。
 あれ〜、2,3日前に見た亡国の国営「つながったらいいなTV」に出演していたひとのことを思い出した(見た目が、一緒に出演していたT近さんと相反するタイプ)
 そう、「つながったらいいなTV」は、あのS助一派がやっているものと違い、ためになる良い方の番組だが、ちょっと取留めないことと、例の新もどき番組で、それも数回目ねとして見ていた(時候の変更をやっただけの番組、ねつ造かな)。その日は、好みのタイプが現われ、そのチャーミングな子のことは記憶にあったが、昨年のミス日本の萩美香(24歳)さんと紹介され驚いた! その番組は「昨年のミス日本」以外のことは全て記憶と一致したから困った。それから、全然よくない頭の中を探って次のことに至った。
 私の前回の記憶では、萩美香さんは十代だった(それも、かなり若く、年齢と異なり大人に見えた印象が残っている)。この若さで、ミス日本かどうかは分からないが、地方選で良いところまでいったと紹介されたような記憶があった。そして、今回の番組では、24歳ではなく、大人に見えるが、もう少し若いのでは…と印象を受けた。
 帰ってWebを含めて記憶を辿ったよ。まず、「萩」と「美香」をつなげて、その印象が残っていた。「萩」は山口県の地名(よく行った)。「美香」は叶姉妹の姉とはえらい違いだとね。そして、次のサイトを見付けた。
 「第39回2007年度ミス日本グランプリ 萩 美香
 そこには、『“3度目の正直”で母娘の夢を実現させた。夢のスタートは、母・茂子さんが若き日にテレビで見たミスコンに憧れたことだった。… … 初めて「ミス日本」に挑戦した高校3年時は、茂子さんが娘に内緒で応募。本戦出場は叶わなかったが、その後、萩さんは三重大学1年時に「ミス津」となり、同3年時には地方紙の「フォトメイト」を務めたことも…。昨年4月に立教大学大学院法学研究科に進学するために上京。初めての一人暮らし、慣れない都会での生活、そして学業の壁…。自信を失いかけていた萩さんは「自信を取り戻したい」と、自ら3度目となる「ミス日本」への応募を決意した。』とあったね。
 私の記憶とつなげると、「ミスコン」タイトルのテロップ&音声の入れ替えで「つながったらいいなTV」のオリジナルは美香さんが高校3年で、その次が大学生で、次の次が今回の番組になったんでしょう(めでたしメデタシ)
 このような流れを、私は「記憶がつなかった」と言います。