【 おかしければ直せばいい。なければ創ればいい。】

サクタマサヤさんの路上ライブ、ストーカー規制法違反で罷免になった下山判事

 夕刻、久しぶりに相模大野駅(北口広場)で路上ライブを見かけた。始めは、どことなくオジニイサンぽい方たちだなと思い通り過ぎたのだが、やさしい感じの歌声を聞いて引き返してライブを聞くことにした。
 チラシを配っていた方にデジカメの許可を受けて撮影することにした。
   

 次に、その際のやさいい声のサクタマサヤさんの「泣きたくて、SOS」を紹介します。
  
 “泣きたくて、SOS”は“会いたくて、SOS”に…つながるもののようです。その際のチラシも紹介します。

 なかなか感じの好い路上ライブでした。


 そうそう、守秘義務に関しては、「裁判官と裁判員に不公平があってはならないよね」としたことで、罰則規定がないことの問題点が分かりづらいのではないかと聞いたので補足することにします。

 どうも、特別職(国家公務員)の「裁判官及びその他の裁判所職員」の方たちには、守秘義務などの罰則規定がない理由として、「弾劾裁判・分限裁判」や「裁判官の倫理意識が高い」ことから刑事罰を科さなくても社会的責任を追及できるからだとされています(ここで、裁判官以外の特別職のとは考えに入れないでくださいよ、話が無茶苦茶になるので避けましょう)

 はじめに、無論、多くの「裁判官及びその他の裁判所職員」の方たちは倫理意識も高く職務を遂行されています。

 でも…、本当に弾劾裁判や分限裁判が機能しているのか心配でしょう。例えば、昨年も例のメディアが騒いでいたストーカー判事のことを考えると“あはは…”となりますよ。
 そこで、Webでチェックしようとしたら!その判事が検索対象にならないことに驚いてチェックすると、なんと「弾劾裁判 山下」で検索していました。そう「山下」ではなく「下山」判事でした。前回(前々回)のときも同様に間違えてしまったことを思い出しました。まるで、21世紀の極悪人と名高いS介さんが壁にバンばんバンと犯した婦女暴行(いや、婦女に対する暴行)と同様な回数かも知れません(あぁ、話が脱線するので、この話は忘れてください機会をみて説明します)

 あらためて、ストーカー事件の下山芳晴判事のことを忘れている方は、「ストーカー事件 下山」、「弾劾裁判 下山」で検索すると、次の顔写真が多く現れチェックすることができます。


 今回の結末は、昨年12月24日弾劾裁判で「犯行は極めて巧妙かつ悪質で、裁判官としての良心や品位はみじんも感じられない」として、罷免の判決を言い渡されました。
 “えー”と今回の弾劾裁判の発端は、下山オジサンが家裁都留支部長だった今年の2月から3月にかけて部下の女性の携帯電話に身の危険を感じさせるようなメールを計16回送るストーカー行為をしたことからです(都留は良いところで、よく知っているので、記憶が連動します何度も)。そして、ストーカー規制法違反罪で甲府地検が6月10日に起訴したことから、弾劾裁判に発展して罷免されろことになりました。
 そう、ストーカー規制法違反罪には罰則規定があり起訴することができるのですよ。
 すなわち、守秘義務違反罪には罰則規定がなく起訴することはできないので弾劾裁判などに発展することはないでしょう。
 無論、元裁判官の下山オジサンにも、ストーカー行為はやってはいけないことと高い倫理意識はあったものと思われます。

 じゃーなぜ!? たぶん、ストーカー規制法という法律がなければ下山裁判官は部下の女性へメールを続けていたのでしょう(だって、裁判官は偉いんですもの)

 でも、この件は「部下の女性」と言っても直接裁判には関係のないことですが、私の知人から直接裁判に影響がある行為をしても問題にならなかった判事がいると聞いたことがあります。
 その話では、初法廷で偏見に満ちた考えから一方的に終結させた判事がいて、再口頭弁論申請をして再開された法廷の冒頭で“この件は早く終えたい”と法廷内の全員に聞こえる独り言を2度以上も言った判事がいて、その後は裁判にはならなかったようです。無論、その他の裁判所職員も裁判官の発言(独り言)問題の認識はあるのだろうが誰も問題として取りあげなかったようです。上位裁判所にその旨の問題点を伝えても全く問題にならない上に、途中で裁判関係者の守秘違反があっても「よくある話で問題ない」とされ、一度もまっとうな審議がされないままに終わる形になる裁判もあるんだよ言ってました。そう裁判官を選ぶことができず、裁判員裁判のことからも伝わったと思いますが、第一審が一番重要で最後まで影響するのです(たぶん、知人のことだから近いうちに合法的に天罰を下すのでしょう)

 あらら…、また話が反れ少し長くなりゴメンなさい。

 やはり、多くの方はメディアがグル(公共&民放)になって特定期間の番組をリピートしているとしたら嫌でしょう(それも、大きな刑事事件や裁判報道までも)
 これらが事実なら嫌というより社会がよくならない。いや、壊れるでしょう(もう壊れてます、文化も)

 これらのメディアの悪しき流れの発端は、メディアが斜陽産業に陥ったことから始まったのでしょう(まぁ、それしか手段がなかったことの方が、もっと哀れです)

 最近、また太宰治生誕100年を記念…という番組(書籍も)が多く騒がれているので、「斜陽」の意味は伝わります。もう掘り出すものが切れそうなころなので、私は斜坑産業と言った方がよいかもなと思います。
 そのメディアが斜陽産業(斜坑産業)と言われるようになったのは、'90年後半です(これが日本だけなら、まだよいのですがね)
 今度、機会を見て2009年05月31日のHNK番組-日曜フォーラム「岐路に立つテレビ」での分かり易い竹中さん言葉を借りて説明します。

 2009年とありましたが、私は内容を見た限りリピート番組だと思います(興味のあることは良く覚えていて、3度目を超えたと思います)。逆に考えると何度やっても改善できず下降線をたどっていることになります。
 無論、番組内で使う年号の関連するデータ(テロップ)は最近のものに変えてあるのでしょう。
   
 今年は、もっと営業利益がマイナスのテレビ局が増えるのでしょう。次は2000年を100とするテレビ広告単価の推移です。
   
 今年は、もっと一本(CM)のテレビ広告単価は下がるのでしょう。そうそう、皆さんも番宣(その局が関係するドラマ・映画・書籍など)CMが増えたなと感じるでしょう(単価に合わず広告CMがない際に流すものです)
 じゃー、今年はもっと営業利益と広告単価がマイナスになると考えられるのに、豪華な出演陣のバラエティーや、同様に予定を含め豪華な出演者と撮影場所のドラマ(映画)の放送(放映)が多くなりました。
 なぜでしょう。私には分かりません(じゃ、機会を見て分かり易く説明しましょう)
−以上−